試衛館
場所

小石川ではなく、牛込柳町が正しい。
「誠衛館」ではなく「試衛館」が正しい。



























試衛館
間取り

残っている証言から、試衛館の間取りを想定してみました。

福地桜痴の証言による試衛館:

『前・中・後と小さな庭のある平屋建て。敷地は約100坪。
道場は30畳ばかりで、4畳半の玄関から廊下を行くと、8畳の茶の間兼周斎の隠居部屋。
その奥が、10畳か12畳の客間、廊下を右に折れると中庭があって、8畳の勇の書斎と、外に台所。台所に繋がって建て増ししたような細長い一室(食客部屋)があった。』


注:この図はあくまでも私が想像したもので、実際にこうだった、という訳では決してありません。
ですので、はた!と思い浮かぶことがあったら、また違う間取り図を作る可能性が充分にあります(笑)
































試衛館
総司に惚れた娘

文久二年七月頃。
この頃、試衛館に手伝いの娘(勇先生の養女とも言われている)がいて、道場の掃除や洗濯などをしていたという。
名前も年齢も不詳だが、かなり男勝りな性格だったらしい。
これが、いつしか沖田に想いを寄せ、「嫁にして欲しい」というようなことを打ち明けたのだが、沖田は「私はまだ、修行中の身だから」と断ったという。
これにショックを受けた娘は、短刀で喉を突いたが、急所を外れたため一命を取りとめ、のち、勇先生の世話で他家に嫁いだという。