歳三
家族

続柄名前生年没年享年
義諄寛政4年
(1792)
天保6年
(1835)
44
恵津寛政4年
(1792)
天保11年
(1840)
49
長男為二郎文化9年
(1812)
明治16年
(1883)
72
次男喜六文政2年
(1819)
万延元年
(1860)
42
三男夭逝 文化11年10月
(1813)
四男夭逝 文化?12年6月
(1815)
長女夭逝 文政4年8月
(1821)
次女夭逝 文政5年5月
(1822)
三女文政6年
(1823)
天保9年
(1838)
16
五男大作文政11年
(1828)
明治10年
(1877)
50
四女のぶ天保2年
(1831)
明治10年
(1877)
47
六男歳三天保6年
(1835)
明治2年
(1869)
34

































歳三
薬の行商

実家の土方家では、「石田散薬」という薬の製造と販売(行商)をしていた。
歳三も、薬箱を担いで近隣に売りに歩いた時期があった。
行き先は、甲府、川越、横浜方面が多かったという。
ちなみに、土方家に現存している「村順帳」という明治16年の行商先の地名と顧客を記録したものによると、日野を中心に、八王子、府中、調布、武蔵野、福生、町田、田無、世田谷の高井戸、代田橋、埼玉では、川口、入間、所沢、神奈川では川崎、横浜、厚木、甲州街道沿いに山梨県の犬目から大月、長野県の諏訪、横川などに及ぶ。




































歳三

歳三は、親戚の本田覚庵(市川米庵流の書家)に、書を習いに行っている。
覚庵の家は、土方家から4〜5キロ、徒歩で1時間弱の距離にあった。
歳三は、
万延元年 9回
文久元年 3回
文久2年 3回
覚庵を訪れている。ちなみに、勇も共に通っていたらしく、勇は、
万延元年 7回
文久元年 3回
文久2年 1回
覚庵を訪れている。

































歳三
好きなもの

★親戚の橋本家で漬けた沢庵
★梅
★赤(紅)
★句



































歳三
得意

★抜き打ち
★鋏



































歳三
二度の奉公

★弘化2年(1845)★
  《土方歳三、上野松坂屋に奉公に上がる》

★嘉永4年(1851)★
  《歳三再び奉公に出される》