
「総司と歳三は仲が良かった」
こんなことを「史実」と言い張る人がいる。
これを虚構と認めた上で「楽しむ」のは個人の自由だけれども、当サイトや史学研究会など、史実を重視している場で、これを「史実だ!」と叫ばれる女性が時々いらして、ため息をつかされることがしばしばあります。
(こういう方々が掲示板に来られて騒ぎまくられるので、敢えてこの項目をこうして追加することにしました。本来なら項目として必要のないものですが…)これは、司馬遼太郎先生ご本人も言われていますように、先生の創作です。
「あれは私の創作なのに、他の作家がみな、真似ている」と苦笑されていたという新聞記事もありましたね。実際、「沖田と歳三は仲がいいのだ!史実だ!」という人の根拠は殆どが創作から持ち出されたものばかり。
創作を史実と思いこんでぬけぬけと、「史実だ」と言い張るのは、このサイトの一番嫌うところです。
中には史実である可能性もある見聞も2〜3ありますが、こういう人達が持ち出す根拠は、「友人」としてならば、誰でもやるようなこと。
例えば、並んで歩いていた、とか、将棋を指していたとか、出稽古の当番が一度だけ同じ日だった、とか。これが事実であったとしても、こんなことは普通の知り合い同志なら誰だってやってることです。
なんで、こんなことで「特別仲がいい」と言い張るのか、なんでそうまでして仲が良いと思い込みたいのか、異様なほどの執着心で、妄想を史実に押しつけたくて必死な感じすらします。「仲がいい」ということを証明するのに、その二人の様子を知っている第三者のさりげない言葉や記録は重要な手がかりの一つです。
例えば勇と歳三の場合。
福地桜痴:「近藤とは兄弟分のような土方の方は……」
松本良順:「近藤に誤なきは、歳三ありたればなり」
千葉弥一郎:「土方は近藤と共に名高いが、(略)(土方は)近藤と非常の仲良しで、近藤を兄として敬っていた。」
更に、依田学海の記録によれば、勇が歳三に呼びかけた言葉を「吾子」としている。(「君」どころではない、親密以上に親密な呼び方)
(全文興味がおありの方は、「人名録・歳三」や裏サイトへどうぞ。)こういう「事実」があってはじめて、「仲が良かった」と言えるのです。
こういう記録や伝聞は、沖田と歳三にはありません。皆無に近いです。当たり前です。創作なんだから。
沖田が植木屋にいたころも、勇先生は何度が訪ねていて、共に泣いたという話もあるくらいだけれど、歳三が沖田を訪ねた形跡はない。
沖田が「近藤先生はどうされたでしょう」と気にしていた記録はあるけれど、歳三のことを気にしていたという記録はない。史実をよく調べていれば誰でも気づくことだと思いますが、「勇と沖田」「勇と歳三」の間には、それぞれ繋がるものが感じられますが、沖田と歳三の間にはそれが一切感じられません。
(仲が悪かった、と言っているわけではありません。世間で取り立てて騒ぐほど仲がいいとか悪いとか言うほどのことはない、ということです。試衛館の仲間として同窓生的な友情は普通にあったでしょう。(私個人の見解は別ですが)。)創作による沖田と歳三の仲に憧れている新選組女性ファンは多いのでしょうけれども、それは脳内と個人の楽しみの範囲で納めてください。ただし「それはあくまでも創り事であって、事実ではない」と認めた上で、ね^^