★土方歳三★
副長
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・家族は、父・土方義諄、母・恵津、長兄・為二郎(盲目のため、家督を継いではいない。23才年上の兄)、次兄・喜六(家督を継いだ。歳三より16才上)、長姉・周(16才で亡くなっている)、三兄・大作(糟谷という医家に養子に行き、糟谷良循と名乗る)、次姉・のぶ(佐藤彦五郎に嫁ぐ。歳三はこの姉に一番懐いていた)。末っ子・歳三。
・写真を見てもわかるように、歳三は大変な美男だった。当時の人間の証言でも「役者のような美男」「色の白い美男子」というのがいくつも記録として残っている。16の時の奉公で失敗したのも女性問題だった。京都でも数多くの女から恋文をもらっている。
・親戚の橋本家で漬けた沢庵が好物。
・仲人をしたこともある(詳細は非公開事項)。
・趣味は俳句。俳号は「豊玉」(ほうぎょく)
・京都に行く前に41首の句を綴っていった。他に知られているのが、和歌8首、漢詩、俳句(川柳)数種。
・実家の土方家では、「石田散薬」という薬を作っていたが、歳三はそれを行商して歩いた。
・江戸には許嫁がいたというし、京都では一女をもうけた間柄の女がいたという。(うー。なんという幸せな女だぁ!)赤子は生後間もなく死んだらしい。
・よく小説などで沖田と兄弟のように書かれているが、あれは司馬氏自身が語り残しておられるように、完全なる虚構である。歳三と沖田が、小説に書かれているように親しかったという事実は、一切ない。むしろ二人の関係はクールだったように思える。
・愛刀は、11代和泉守兼定二尺二寸八分(現存)。
・箱館では一人粗食に甘んじ、女を一切近づけなかった。

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