歳三と男色



半年前から、歳三の男色に絡む話題を提供してきたが、平成12年6月10日にやっと、その詳細を知る機会を得た。鍵になる文章は以下のものである。

「当時田村銀之助は歳15岩城平藩のものにして新選組に入り土方歳三に従いて大に愛を受く、実に美貌にして衆に秀づ」
(彰義隊・寺沢の手記の一節)

さて、これをみなさんはどう、受け取るだろうか?
ただし、この書き方は、寺沢の思考によって寺沢が書いたもの。客観的事実をどこまで正確に表現しているかは、勿論謎である。
これ以上の事実は、今のところは、ない。以上がすべてである。みなさんの判断にお任せしたい。

以下は、その前後の事実と合わせて、私が考察したものである。
まず、この手記を元に論文を書かれた方は、歳三と銀之助には、性的関係があったと断言しておられるが、私はそうは思わない。
ちなみに、この論文を書かれた方は、男色についてはまったく詳しくないようだ。
「男色は気色悪い異常性愛と思っていたが、氏家氏の『武士道とエロス』を読んでその考えを改めた。」とか、宮本武蔵の話を読むまで、男色における養子縁組の理由をご存じなかったり、と、まだまだ、男色についての知識は乏しいのがありありわかる。
それだけに、この方の推察には大きな穴がある。

この方は、銀之助が、歳三、春日(左衛門)、古屋(作左衛門)、らと関係があったと推察しておられるが、武士社会の男色においてこういうことは絶対にあり得ない。いや、町人社会でもあり得ないことである。これは男色・衆道を多少なりとも調べたことのある人なら、誰でも知っていることである。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世と言うが、衆道の念者の繋がりは、七世とも終生、未来永劫とも言われる中で、若衆がみだりに複数の念者と関係を持つことは、断じてあり得ない。
男色とは、単なる性嗜好・色事の趣味の問題ではなく、忠義と絆が一番に介在する。その忠義や絆を対象とした相手が複数いるということは、本来なら許されるべきことではない。
それとも、銀之助が、淫乱な性処理の道具だったとでも言うのだろうか?そうなのであれば、その説も通用するかもしれないが……。

衆道における養子縁組は、いわゆる「親子」の証ではなく、「夫婦」の証であるのと同様の意味がある。現代においても、男女のように夫婦として同じ戸籍に入れない同性のカップルは、「養子」という形で「入籍」する。
こんなことは、衆道を少し調べた人なら、誰でも知っている基本的な事実である。

最終的に銀之助は、春日左衛門と養子縁組を結んでいる。二人の年齢差は、ほぼ10才。(25才と14才)
こうなると、この2人が男色の関係にあった、と言われたら確かに否定する要素は少ないだろう。そしてこの「養子縁組」という事実が、すべてを解決してくれるのだ。

銀之助は、歳三や古屋や松平太郎などに、非常に可愛がられたのは事実だろう。しかし、この複数の男たちと銀之助が性的関係にあったとするのは、完全なる間違いである。
衆道の相手はただ一人。

銀之助は、春日と養子縁組を結んでいる。

銀之助に念者がいたとすれば、春日以外に考えられない。この事実がある限り、歳三と銀之助の間には男色関係はなかったと、断言できる。

2000/6/10


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