明治2年(1869)以降 無断引用・複製は固くお断りいたします。

日付新暦天気出来事
1. 1  歳三、夜、小柴長之助と共に酒井を訪れ、面談する
1. 6  酒井の訪問を受ける
1.14  酒井の訪問を受ける
1.19  酒井の訪問を受ける
1.28  新選組の市中取り締まりを賞して、金千疋を隊士に与える
1.  榎本軍、各地へ分兵配置を決す.新選組は箱館市中取締に任ず
3. 4  酒井の訪問を受ける
3.20( 5. 1) 南部宮古に停泊している西軍艦隊を奇襲して、甲鉄艦を奪取せんとの案をもって、夜半、回天、蟠竜、高尾の三艦、箱館を出港、歳三は陸兵総督として回天に乗艦する
3.25( 5. 6) 蟠竜は行方不明、高尾機関に故障を起こし、回天単独にて宮古湾に突撃す。激戦わずかに30分
3.26( 5. 7) 回天箱館に帰着
4.11( 5.22) 土方歳三、伝習隊・衝鋒隊に新選組の一部を率いて、二股口に向かい、胸壁を構築して敵に備える
4.12( 5.23) 土方軍、二股口の天狗岳、台場山に守備
4.13( 5.24) 二股口の土方軍、西軍と戦闘、翌朝まで16時間の激戦
4.23( 6. 3) 二股口の土方軍、西軍と戦闘(第2次戦闘開始)
4.24( 6. 4) 土方軍、滝川充太郎率いる抜刀隊に突撃し、敵を敗走さす(日没までの戦闘だった)。官軍艦隊箱館入港、弁天台場で防戦
4.26( 6. 6) 官艦箱館へ来襲す
4.29( 6. 9) 官軍次第に優勢となり、二股口の退路遮断の恐れが出て、箱館からの指令によって土方軍退却する
5. 1( 6.10) 土方歳三、五稜郭において榎本、松平の総裁陣と会議、後、弁天台場に赴き有川出兵の命を伝える。同夜、新選組を先鋒とする大鳥軍出立する
5. 3( 6.12) 土方歳三、五稜郭に帰陣(弁天台場は奮闘した)。市村鉄之助に郷里日野に遺品を届けるべく湯ノ川へ落とす(4/15?)
5. 7( 6.16) 箱館港海戦
5. 8( 6.17) 榎本総裁自ら諸隊を指揮
5.10( 6.19) 新選組夜半警備につく
5.11( 6.20) 官軍、箱館山裏から上陸、総攻撃開始。新選組、箱館鎮撫隊の面々すべて弁天台場に入り応戦、弁天台場の孤立を案じた土方歳三は額兵隊、伝習隊、見国隊、神木隊などを率いて箱館奪回に出陣、一本木あるいは異国橋付近で敵弾を受け死亡
5.12( 6.21) 五稜郭へ恭順勧告の書簡が届くも榎本ら拒絶する
5.13( 6.22) 西軍弁天台場に恭順を説く。相馬主計ら榎本と談ずるも榎本拒否する
5.15( 6.24) 弁天台場降伏し、台場の新選組西軍の軍門に下る
5.17( 6.26) 榎本、松平の総裁陣、亀田において、黒田了介に会見す。安富才助これに従う
5.18( 6.27) 五稜郭降伏。榎本、松平、大鳥、荒井の4人町家猪倉屋に謹慎
5.19( 6.28) 永井、相馬、松岡も猪倉屋に謹慎す
5.22( 7. 1) 上記、幹部7人東京へ移される
6.30( 8. 7) 上記7人東京に着き、軍務局糾問所に入る

明治3年(1870)3.  永倉新八、松前藩医杉村松柏の養子となる
明治5年(1873)12. 3 太陽暦の実施により明治6年1月1日となる
明治8年(1875)5. 7 永倉新八杉村家の家督を相続して、杉村義衛を名乗る
明治9年(1876)4. 近藤勇、土方歳三の招魂碑を日野高幡不動尊に建立する
5. 杉村義衛発起による板橋の新選組墳墓建立する
明治19年(1886)6.28 勇長女瓊子病死する
明治21年(1888)7. 高幡不動の近藤、土方招魂碑落成す
明治24年(1891)4. 2 藤田五郎(斎藤一)警視庁(警部補)を退職し、東京高等師範学校に勤務する
明治25年(1892)7.20 勇、妻ツネ死亡
明治33年(1900)3.20 島田魁、京都にて死去
大正4年(1915)1. 5 杉村義衛北海道小樽にて病没
9.28 藤田五郎、東京にて病没
大正8年(1919)7.11 鈴木三樹三郎茨城県石岡にて病没す
昭和13年(1938)1.16 稗田利八(池田七三郎)最後の新選組隊士病死す。享年90歳


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