文久三年(1863)三月

小島鹿之助、橋本道助宛て(歳三の遠戚)

委細ハ近藤より奉申上候。
愈御壮健可被在御座、奉南山候。
一、上京後御無言罷過、奉恐入候。小子帰国一向相分不申候。帰着不相成候ハゝ大慶と思召可被下候。乍末御三家御一同様江よろしく奉願候。先ハ早々不備

三月廿六日
尚々、小島御兄より存候方へ別段よろしく奉願候  京都 土方歳三
小野路
小島鹿之助様
橋本道助様
人々御中


委細は近藤より申し上げ奉り候。
いよいよ御壮健に御座あらせらるべく南山奉り候。
一、上京後、御無言罷り過ぎ、恐れ入り奉り候。小子帰国一向に相分かり申さず候。帰着相ならず候わば、大慶と思し召し下さるべく候。末ながら御三家御一同様へよろしく願い奉り候。先ずは早々不備

三月廿六日
尚々、小島御兄より存じ候方へ別段よろしく願い奉り候  京都 土方歳三
小野路
小島鹿之助様
橋本道助様
人々御中


上洛後初めての、郷里へ向けた歳三の手紙である。
前日の二十五日、壬生屯所を訪れた会津藩士たと歓談し、隊の発足を告げた。
「(江戸に)帰るのは、いつになるかはわかりません。しかし帰らないことこそ、大慶(喜ばしいこと)なのだと思って下さい」という、激しい決意の現れが垣間見える。











文久三年(1863)十一月

小島鹿之助宛て

寒中之砌弥御壮健可被為任御座奉恐悦候。随而此方一同無事罷在候間、乍恐御休意可被下候。然者過廿一日松本捨助殿上京仕、壬生旅宿江向参上、如何之義有之候哉難計、仍之一先下向為致候間、彼是よろしく奉願上候。
一 久々御無音罷過何とも恐入候得共、小子之筆ニ而ハ京師形勢申上兼候間、承り度折なから此御無音申上候。御推察之上御ゆるし可被下候。乍末小嶋御両親様御初御一同様江よろしく願上可被下候。何卒右之段上溝にも宜敷奉願上候。
一 松平肥後守御預り新撰組浪士勢ひ日々相増、依之万々松本氏より御承り可被下候。恐々不備

十一月 日   松平肥後守御預り 土方歳三
小島兄参
尚々、拙義共報国有志と目かけ婦人しとひ候事筆紙難尽先島原ニ而ハ花君太夫、天神、一元、祇園ニ而ハ所謂けいこ三人程有之、北野ニ而君菊、小楽と申候まひこ、大坂新町ニ而ハ若鶴太夫、外二三人も有之、北之新地ニ而ハ沢山ニ而筆ニ而ハ難尽、先ハ申入候。
報国の心ころをわするゝ婦人哉 歳三如何しき読み違ひ
今上皇帝
朝夕に民安かれといのる身の心ころにかゝる沖津しらなみ
一 天下の英雄御座候ハ早々御のほせ可被下而候。以上
小嶋鹿之助様


寒中のいみぎり、いよいよ御壮健に御座あらせられるべく、恐悦に奉り候。ついては、この方一同、無事に罷り在り候間、恐れながら御休意下さるべく候。しからば過二十一日、松本捨助殿上京仕り、壬生旅宿へ向け参上、如何の義これ有り候や計り難く、これによりひとまず下向致させ候間、かれこれよろしく願い上げ奉り候。
一 久々御無音に罷り過ぎ、何とも恐れ入り候えども、小子の筆にては京師形勢申し上げかね候間、承りたき折ながら、これ御無音申し上げ候。御推察の上御許し下さるべく候。末ながら、小嶋御両親様御はじめ、御一同様へよろしく願い上げ下さるべく候。何卒右の段上溝にもよろしく願い上げ奉り候。
一 松平肥後守御預り新撰組浪士、勢い日々相増し、これにより万々松本氏より御承り下さるべく候。恐々不備

十一月 日   松平肥後守御預り 土方歳三
小島兄参
尚々、拙義ども報国有志と目がけ、婦人慕い候事、筆紙に尽し難し。まず島原にては花君太夫、天神、一元、祇園にてはいわゆる芸妓三人程これあり、北野にて君菊、小楽と申し候舞子、大坂新町にては若鶴太夫、外二三人もこれ有り、北の新地にては沢山にて筆にては尽くし難し、まずは申し入れ候。
報国のこころを忘るる婦人かな 歳三いかがわしき読み違い
今上皇帝
朝夕に民安かれといのる身の こころにかかる沖津しらなみ
一 天下の英雄御座候わば、早々御登らせ下さるべく候。以上
小嶋鹿之助様


追伸部分が、あまりにも有名になってしまった歳三の手紙である。
本文では、郷里の松本捨助が、上洛、入隊を請うたが、歳三はこれを断り、故郷に帰している。(後年、松本は念願適って入隊する)
そして追伸部分。
「これだけの女に慕われているんだぜー」ってな感じだろうか(笑)
しかし、羨ましい……。実に羨ましい女性達ではないか!(笑)
歳三を命がけで愛する私ではあるが、歳三のただ一人の女になりたい、なんて贅沢は言わない。(そりゃぁ、そうなれたら死んでもいいわ。尽くして尽くして尽くしまくりたいわ)
でも、せめて、多くの女達と一緒でもいいから、こういう時に、歳三に名前を挙げて貰えるような立場の女になりたいなぁ、と、この手紙を見る度に、いつも思うのである。
そして、このころから箇条書きで手紙を書く、歳三独特のスタイルがすでに、現れている。













元治元年(1864)四月

佐藤彦五郎宛(歳三の実姉の夫)


一 はちかね 壱ツ
右者八月十八日御所
非常、并廿三日三条なわ手
のたゝかひに相用ひ候間、此
はちかねハ佐藤兄江御送り
奉申上候。

土方歳三
子四月十二日
佐藤尊兄


一 はちかね 一つ
右は八月十八日御所非常、ならびに廿三日三条なわ手のたたかいに相用い候間、このはちかねは佐藤兄へ御送り申し上げ奉り候。

土方歳三
子四月十二日
佐藤尊兄


前年文久三年の8.18の政変及び、同月二十三、四日の両日、三条縄手近辺で、尊攘派志士らを追捕に向かった時に使用した鉢金(額部分に金の入った鉢巻き)を、佐藤家に送ったときの添え状である。