天保6年(1835)〜文久2年(1862) 無断引用・複製は固くお断りいたします。

    
日付新暦天気出来事
天保6年(1835)5. 5( 5.31)  土方歳三生まれる。武州多摩郡石田村、父土方隼人義諄は既に亡かった(2/5 42才で死去)。母恵津、長兄為次郎(23)、次兄喜六(16)、末兄大作(7)、長姉周(12)、次姉のぶ(4)9?
天保9年(1838)6月  姉周死す(15才)
天保11年(1840)   母(49才)を失い喜六に養育される。為次郎は盲目の為家督を継げなかった
弘化元年(1844)   姉のぶ、日野の佐藤彦五郎に嫁ぐ
弘化2年(1845)   歳三、上野松坂屋へ奉公に上がる
弘化3年(1846)6月  洪水の為、生家が流される
嘉永元年(1848)11.11(12. 6) 近藤勇(宮川勝五郎)天然理心流に入門
嘉永2年(1849)10.19(12. 8) 近藤勇、養子縁組により、宮川勝太より島崎勝太と改称する。尚、6月に目録を授かる
嘉永4年(1851)   歳三、江戸大伝馬町の呉服屋に再び奉公に出る。この年、歳三、理心流に入門ともいう
嘉永5年(1852)   沖田総司(10歳)天然理心流入門。近藤勇この年初めて小野路の小島家に剣術教授に訪問す
安政6年(1859)3. 9( 4.11) 歳三、天然理心流正式入門
9.23(10.18) 歳三、剣術教授方として小野路の小島家を訪問
万延元年(1860)2. 4 晴風昼前、歳三、本田覚庵を訪ねる
3.29( 4.19)  近藤勇、清水家の家臣飯田町松井八十五郎長女ツネを娶る
閏3.20 歳三、覚庵を訪ねる
4. 2 歳三、覚庵を訪ねる
4.17 晴雨歳三、覚庵を訪ねる
6. 8 曇り歳三、覚庵を訪ねる
8.29 曇り雨歳三、覚庵を訪ねる
9. 5 曇り歳三の兄、喜六、この日夜遅く死去
9. 7 晴れ喜六、葬儀
9.14 晴れ勇、六社宮へ奉額の事で覚庵を訪ねる
10. 1  勇、この日二度覚庵を訪ねる。歳三は府中から来て覚庵のところで一泊
10.14 晴れ勇と歳三、揃って覚庵を訪ねる
11. 6 晴れ勇、覚庵を訪ね、一泊
11.10 晴れ勇、覚庵を訪ね、一泊
11.11 晴れ勇、朝、帰る
11.21 歳三、覚庵を訪ねる
文久元年(1861)3.23 快晴歳三、覚庵を訪ねる
3.26 快晴勇、覚庵を訪ねる
4.12 晴れ歳三、沖田と共に小野路村に出稽古.橋本道助方に泊まる
4.23 曇り歳三、覚庵を訪ね、一泊
4.24 快晴歳三、帰る
7.30 勇、覚庵を訪ねる
8.27(10. 1)  府中六所宮東の広場に於いて、近藤勇の天然理心流四代目襲名。披露の野試合が挙行され、土方、山南、沖田ら出場す。歳三は赤軍の中軍衛士をつとめる
9. 1 歳三、覚庵を訪ねる
11.初(12. ) 歳三、大病を患い生家で養生する
文久2年(1862)1.19( 2.27)晴れ近藤、沖田、山南ら小野路の橋本家を訪問す
2.26( 3. )小雨歳三、小島家で出稽古を行い、一泊する
2.27( 3. )晴れ歳三、病が癒えて江戸に行く前に、小島家を出立、覚庵を訪ねる
3. 1 晴風歳三、覚庵を訪ね、一泊
3.25 雨風歳三、覚庵を訪ねる
4.21 勇と共に橋本家で出稽古を行い、1泊する。翌日橋本家を出立
5. 9  橋本家へ出稽古に赴く
7. 1 晴れ勇と共に橋本家で出稽古を行い、1泊する。翌日橋本家を出立
7.  総司、はしかにかかる
7.  勇、講武所教授の採用有力視されるも、2〜3カ月後、不採用となる
   この年、勇の長女瓊子生まれる
12.13 晴れ勇、覚庵を訪ね、一泊

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